子育てを懐かしむ
今日は、ふっと頭によぎった事をあなたと共有してみたいと思います。というのは、長男が18歳になり来週は高校の卒業式を迎えます。18歳は、就職して仕事を始める人、進学をする人と岐路に立つ年齢です。そう思うと長男が生まれた時、保育園時代、小学校、中学入学時と節目節目が思い出されるのです。振り返ると第1子だったから幼少時は、気合いを入れた子育てでした。
育てると飼う1
当り前ですが、子どもは育てるものです。ペットではありませんから。育てるって単に寝食を与えるだけではないんですよね。大人になった時、どんな人間であって欲しいかを考えながら毎日接していく、これは本当に大事な事。私は、人の気持ちに寄り添える優しさ、学ぶ事を大切にする、経済的な自立、健康も含めた自己管理ができる人を目指して子どもたちを育てています。これらを身に着けさせるのにとても根気がいりました。その土台をつくるために幼少時は躾をメインに、小学校では学ぶ事と学びの広げ方を、中高では芸事を通して感情の扱いを。我ながら子育て目標がぶれずにがんばってきたな、と思います。次のステージは、自己管理と経済自立です。なんだか家に新入社員がいるような気分、いや、結構そんな感じで接しています。18歳を超えると自由は増えるけど、判断という自己責任がある。「自分で考えてごらん、迷ったとき、ミスのフォローがわからない時はいつでも聞きにおいで」と接しています。こんな風に精神的余裕をもって育てられたのは、家庭の状況を見て柔軟な働き方を選択してきたからかな、と思います。フルタイム(研究職)→パートタイム(教育職)→無職(在米期間中)→個人事業主(教育支援業)。もしフルタイムの研究職を続けていたらきっと子どもを「育てる」じゃなくて「飼う」になっていたと思います。食事と寝る場所だけの提供。子どもの話に耳を傾けてあげられただろうか?無理だっただろうな。子どもがどう育ちたいかというメッセージを受け取り、理解を示す事はできなかっただろうな。自分の都合や思いに合わせた子育てだったら、きっとそれは「育てる」じゃなくて「飼う」になっていたと思う。
育てると飼う2
子どもは所有物ではなく意思のある個人(自分とは違う他人)。どんな大人になりたいのか子どもからメッセージを「受け取る」、どんな大人になってもらいたいか「願いと愛情を伝える」この2つの落としどころを見つけて親子で一緒に歩んでいくのかな、と思います。助産婦さんから「生まれた時から個性があります。」と聞いてましたが、最初はわからず。長男はぜんぜん泣き止まないし、寝ないし、仕方ないから立って抱っこして、気が付けば10時間連続抱っこ。第2子の長女は、ぼーっとしててすぐ寝る、第3子は赤ちゃんの頃は覚えてない(笑)し、1人遊びができる子で楽でした。両親は同じなのに赤ちゃんの時からこれだけ違うので、子どもたちの性格や好み、発達に合わせて、その都度考えながら育ててきました。小さい頃はペットのように「飼う」に近い育て方だったけど、2歳ごろから「育てる」になってきたと思います。イヤイヤ期(自立したいけどできないから暴れる状態)は、工夫を教え、成功させる事で感情のコントロールを教えてあげました。「こうしなさい」だけだと大人からの一方的な命令だから「飼う」かな?子どもの「こうしたいの!」を受け入れて「こうしたらできるからやってごらん」と提案するなら「育てる」かな?「育てる」と「飼う」の違いは「自立を促す」事なんでしょうね。
まとめ
大人にするって本当に大変でした。お金も時間もかかる、しかも無駄にかかる事も(泣)。18~20年がんばって成果が見える仕事なんて子育てしかないですよね。今、小さな子どもを育てている人、すんごいがんばったら高校卒業時に「私、がんばったじゃん!」って達成感あるからあきらめないで全力で子育てしてくださいね。応援してます!